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音楽とかmacとか日々雑感とか
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直接はラジオなどします

常時は十四月たちが、大きい文章を,根本的な枠組みに関して,根本的な枠組みに関して,根本的な差異や断絶があるのです.



(以上,誰か他者の声として捉えることになります.ジークムント先生の記録によれば,どこか興味本位の楽しみごとの範囲を出ないものではないかとかを試みてしまった特徴があるに過ぎなかったと記憶していないはずの音を聴くこともあります.正常人はこの(声)

が常時聞こえている方もあります.



この(声)

が常時聞こえて来た声

は彼女の幻聴に精神疾患の可能性について語られたのは19世紀の精神疾患の可能性について語られたのは,中世がこうした(どこからか聞こえていることがあるのですが,そこによどみなく,1840年代が必要ならば(分節化)

を,言語として聴き取ろうとしていないはずの音が,中には代わりを記憶しております.つまり認識せず,その声をラジオから聞こえたものと解釈していても不思議ではなかったと記憶しなかったかもしれないの精神疾患の可能性について語られたのは,中世がこうした(どこからか聞こえている,などといった特徴があるのです.ジャンヌ・ダルクは英仏百年戦争の頃(14c-)

15年だったと思います.さらに,鼓膜を出ないものではなく,彼らにおいてこの(声)

が常時聞こえている方もあります.しかしながら興味深いの人間は「ノイズが(声)」

として立ち上がることになります.とても疲れて床に着いたときには存在します

と、さんがつは考えてるはず。



*このエントリは、BlogPet(ブログペット)の「十四月」が書きました。

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今日は相方と電話していたのですが,その後でちょっと遅い時間帯にメッセに入りました.iwaoさん発見!(めっちゃ久しぶり).スクリャービン,ラヴェル,ストラヴィンスキー,だいたい和声の話をしていました.<転調作法>の続きを書くよーにつっつかれましたので,頑張って書きたいと思います.書く内容自体は決まってるんですけど,資料を用意するのが大変なのよ(汗).最近の僕はどうもめんどくさがりなのだった.まあでも,リアクションが頂けるとモチベーションになりますから.

それから将棋です.後手番となった僕は▲7六歩を見てついつい癖で△8四歩と指し,▲2六歩から相居飛車の将棋へ.なんと<相矢倉>になりました.ほぼ形勢互角の戦いが繰り広げられましたが,iwaoさんの妙手▲5一角で後手陣崩壊.完全に見落としてましたですね(汗).こうして今日の僕を待っていたのは壮絶なバッドエンディング.矢倉でも強いぜiwaoさん! 楽しかったです.

というか,やっぱり強いなあ.......僕は攻めの棋風(自称)のはずなのですが,最近の棋譜を見るとどう考えても<手厚い>防御手ばっかりです.慎重,あまりに慎重だ.それにしても,iwaoさんと指せたのは久しぶり.それだけで嬉しかったですね.
最近興味があるのは,ガルのフレノロジーについてです.幸いランテリ=ローラが何か書いているらしいので,ちょっと目を通しておきたい.あるいはamazon.frに注文を出してもよいとすら思っています.やはり押さえておくべき重要な箇所なのだと思います.

しかし驚くべきは,パリ第5大学(医学部)です.今やもう,Annales d'hygièneのあたりは電子化され,全てネット上で読むことができます.ADSL以上の環境があれば,日本からでもストレス無くこれらのpériodiqueを読めるのです.日本ではかつてこうしたものを読みたければ国会図書館に出向かなくてはなりませんでしたが(持ってるだけエラいと思うけど),それにしても信じがたい時代になりました.こうした重要な文献が自宅で読めちゃうのですから.

今日は将棋倶楽部24のレーティング戦で,初白星をあげました.戦型は矢倉(後手).非常にしんどい将棋でした.結論として,勝つのはめちゃめちゃ大変であると思いました.エネルギー,何より気力が必要です.負けるのって楽チンなんですよ.諦めてしまえばいいんだから.この一局からは,何か重要なことを学んだ気がします.今日は比較的落ち着いて指せたのが良かったのでしょう.秒読みの中しっかり読みを入れることもできましたし,何より,珍しく受けを誤りませんでした

最近,youtubeでヒカルの碁を見たのです.かっこいいですねコレ(笑).何だかこう,よーし僕も囲碁打っちゃうぞみたいな気分になります.久しぶりにGNU囲碁を立ち上げて打ってみましたが,48.5目負けしました(<雰囲気だけで打った人).もう何が何だか,すっかり忘れてしまっていますね.yebiっつぁん教えてけろー.
リュック・ベッソンが彼の『ジャンヌ・ダルク』を発表したのは1999年のことでしたが,彼がそこで述べていたのは,ジャンヌの聴いた<神の声>は彼女の幻聴に過ぎなかったということだったと思います.しかしながらこうした解釈は特に新しいものではなく,1830-1840年代に精神医学の分野で同じような議論がありました.もし正確な年代が必要ならば,ジャンヌの精神疾患の可能性について語られたのは1845年だったと記憶しております.

もちろんこれは検証および反証の仕様の無い命題であり,どこか興味本位の楽しみごとの範囲を出ないものではあります.しかしながら興味深いのは,中世がこうした<どこからか聞こえて来た声>を,神あるいは天使のそれとして受け取っていたらしいということです.ジャンヌ・ダルクは英仏百年戦争の頃(14c-15c)の英雄ですが,もし彼女が20世紀に生まれていたら,その声をラジオから聞こえたものと解釈していても不思議ではなかったかもしれないのです.何か信じがたい光景を目にした時に,現代人はしばしば「まるで映画のようだ」と言い,それに対して19世紀の人間は「まるで夢を見ているようだ」と形容します.恐らくそれと同じ種類の時代と環境による感覚の違い,大きな大きなジェネレーションギャップが,そこには存在します.つまり認識論的な枠組みに関して,根本的な差異や断絶があるのです.

現代人はこの<声>を,もはや神や天使のそれとは認識せず,その代わり,誰か他者の声として捉えることになります.正常人はこれを「空耳」として,ほんの時折耳にすることがあるに過ぎませんが,中にはこの<声>が常時聞こえている方もあります.ジークムント先生の記録によれば,彼らにおいてこの<声>(無意識の思考)は,意味をなさない文章を,句読点なしによどみなく,ずっと喋り続けている,などといった特徴があるようです.

この<声>について僕が以前からぼんやりと考えていることがありまして,それは,この声の正体は「ノイズ」ではないだろうかということです.例えば手で両耳をふさいだだけで,我々は血流の音を聴くことができます.とても疲れて床に着いたときには,もっと多くの音を聞くこともあります.さらに,鼓膜を介さずとも,脳の聴覚を司る部位に直接流れ込むパルスから,実際には聞こえていないはずの音が,音として再生・認識されることもあります.こうした連続するノイズを,言語として聴き取ろうとしてしまった時に,つまり換言すれば<分節化>を試みてしまった時に,このノイズが<声>として立ち上がることになるのではないかということです.

(以上,今朝ふっと思い出したこと)
昨日にも増して,肩がめちゃめちゃ痛いです.
腰も痛いけど.

職業倫理とモラルポリティーク,およびライシザシオン,ダーウィニズム.

シベリウスの6番の第4楽章,
どこかで聴いたことがあると思ったら,
信長の野望でした.
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